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名古屋高等裁判所 昭和62年(ラ)14号 決定 1987年8月05日

抗告人 加藤ふみえ

主文

原審判を取消す。

本籍岐阜県郡上郡○○町○○○××××番地の×筆頭者加藤良一の戸籍中、同人の死亡時刻が「昭和60年6月25日推定午後8時」とあるのを、「昭和60年6月27日推定午前1時」と訂正することを許可する。

理由

一  抗告人は主文同旨の裁判を求めた。その理由は、要するに、原審判は予断に基づいて証拠の評価を誤り、筋の通らぬ首肯し難い判断をもつて事実を誤認したというにある。

二  記録に照らすと、原審参考人竹下美津子の陳述は、夜間屋外に佇立している亡良一の姿を屋内からのぞき見たというに過ぎないものであつて、同人が屋内に入つて来たとか、言葉を交わしたというのでもないうえ、右参考人の陳述以外は何らこれを裏付けるに足る傍証もないことを考慮すると、たやすく措信できない。また、原審における申立人及び参考人高田かず子の各陳述の信用性ないし証拠価値、亡良一の日記帳の記載、家出人捜索願出に至る経緯と捜索願受理票の記載の諸点に関する当裁判所の認定、判断は、原審判の理由説示中、これらの点に関する部分と同一であるから、原審判2枚目表5行目から同4枚目裏2行目までを引用する。そして、これらからすると、当審における申立人並びに参考人高田かず子の各陳述の証拠価値も亦たやすくこれを認め難い。

三  しかしながら、○○○○検案にかかる検視報告書、原審参考人○○○○の陳述、○○○作成の意見書及び原審における鑑定の結果を綜合すれば(但し、○○○作成の意見書は日照時間を重視して亡良一の死亡時刻を推定したのであるのに対し、鑑定の結果はより多面的な要素についての検討、判断を経ているものである点において、○○○○作成にかかる検視報告書及び参考人○○○○の陳述は同人が法医学の専門家でない点において、鑑定の結果に最も高い信用性が認められる)。亡良一が死亡した年月日時は、これを明確に特定することは困難であるけれども、亡良一の最も遅い死亡推定時刻を、鑑定の結果は昭和60年6月27日午前0時に近い時点で捉え、○○意見書は、同日の日照開始以前と捉えていることに鑑み、鑑定の結果に比重を置いて綜合判定すると、概ね昭和60年6月25日午前11時ころから同月27日午前1時ころまでの間が最もその可能性が高いものと認められる。そうすると、これを逆にいうならば、亡良一は昭和60年6月27日午前1時までは、死亡していたかも知れないにしても、生存していた可能性もあつたものといわなければならない。

四  ところで、人の社会的、法律的存在としての人たるの所以は、その生存を前提としたものであり、その存在は死をもつて終熄するのであるから、生者がその存在を失つたとする死の判定は、その生存の可能性が最終的になくなつたときをもつてするべきものと解するのが相当である(なお、民法31条も、危難失綜における死亡の推定を、死亡の可能性の最も遅い時期で捉えている)。従って、亡良一の推定死亡時刻は、その可能性が最も遅い年月日時である昭和60年6月27日午前1時とするのが相当であり、これと異る死亡推定時刻による戸籍の記載には錯誤があるものといわねばならないから、戸籍法113条により、その訂正の許可を求める抗告人の本件抗告は理由があるものというべきである。

五  よつて、右と結論を異にする原審は取消を免れないが、当裁判所において審判に代わる裁判をするのを相当と認め、家事審判規則19条2項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 黒木美朝 裁判官 西岡宜兄 谷口伸夫)

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